びわ湖疏水をブラ歩き、しました(2018/02/25)

「疏水で小水力できんかな?」と、昨年より継続している疏水学習会の2回目として、今年は実際に疏水を歩いてみましょう、という企画をしました。

当協議会員の板東利博さん(京都市左京区)が、疏水に詳しいという事で、ナビゲーターをお願いし、2/25(日)の午後、総勢17名で約3時間、ブラ歩きをしました。穏やかな天候に恵まれたとは言え、板東さんのレクチャー内容が豊富だったので、その都度資料を見ながら説明を聞き、質問をしていたら、時間が足りなくなって、最後の方はちょっと「ブラ歩き」より早歩きの様相でしたが、みんなで頑張って岡崎から蹴上、銀閣寺経由今出川通りまで歩きました。

疏水記念館の周囲からレクチャースタート、小学生のお子さんも参加してくれました
疏水記念館の中を見学、古い資料が並んでいて、明治時代の偉業に感心することしきり
蹴上発電所第1期時代のペルトン水車。ノズルの位置があってないから、仕組みが分かりにくいかも。

今回は、会員以外にも京都新聞と読売新聞、HPを見たという方が9名参加してくださり、小学生2年の男の子も飽きずに最後まで一緒に歩いてくれました。

 

 

 

第1グループは集合場所を、琵琶湖疏水記念館としました。館内には、3階に分けて展示室があり、明治時代の先人達がどんな苦労を乗り越えて、琵琶湖疏水を引いたのか、水運、水道事業、発電事業と展開していく中での資料がたくさん展示してあります。

じっくり見るだけで半日くらいかかりそうですが、詳しくは別の機会にということで第2グループが待つ、インクライン側へ移動しました。

蹴上発電所を背景に、インクラインの軌道で説明する板東さん

ここで全員集合。配布された資料を見ながら、板東さんの解説開始です。

背中に蹴上浄水場、みんなが見ているのは発電所への水圧鉄管
板東さん自作の「疏水資料」、これはスゴイです

 

現在の水圧鉄管は、第2期発電所へ落とす鉄管で、この写真の古い鉄管は、別の所から引いて、第1期発電所へ送水していた、と。

第一疏水は現在メンテ中で流れていません、右手に見える除塵ゲートは浄水場用

 

 

この写真を見て変だと思いませんか?

浄水場へ引水する水が無い。実は第二疏水のトンネル出口が左手にあるのだそうですが、第二疏水は水を止めてないので、トンネルの中に引水パイプがあるのだそうです。

 

古い写真、古い地図、古い絵画などなど、満載です

「本願寺水道」は、東本願寺大伽藍の屋根の上まで自然水圧で水を送っていたとの事です。

東本願寺で使う防災用水をここから取っていたという掲示板

若きフロンティア「田邉朔郎」像の前を通過します

第二疏水から”ナイアガラ”のように流れて岡崎公園へ

南禅寺「水路閣」までを水路沿いを、流速を感じながら歩きました

 

 

 

 

 

東山高校の南側、急斜面の水路は扇ダムからの流れ。(ここで小水力出来ない?)

永観堂から哲学の小道への途中にある。昔、ここにプールがあった!!と聞いてびっくり。

 

ひたすら哲学の小道を銀閣寺へ、皆さん、ちょっと お疲れ様気味?

敷石は廃止された市電の敷石。この下に松ヶ崎浄水場への直径1.7mの導水管が埋まっている。

 

疏水歩きのナゾの一つ、白川(南北)と疏水(東西)がクロスする箇所。どうやって?

白川が一級河川ということで、白川(この箇所は、川と言うよりほとんど水路ですが)が上、疏水がその下を潜ってる。

写真の手前で疏水の水を白川とクロスした向こう側に、サイフォンの理屈で、水は同じ高さまで上がる。・・・ふ~んと、分かったような分からないような、、、

しかし、建設当時は逆に、疏水が水路橋で白川の上を渡っていた。大正時代にはこのサイフォンになっているとの事です。

<後日、奥村さんからの追加情報=「伏越し」の理屈>

別紙琵琶湖疏水分線と白川の交差部についての考察

白川と疏水がクロスしている不思議なポイントですが、明治時代は「樋越」だったのを、近辺状況の変化で、「伏越し」になったそうです。

銀閣寺、今出川から志賀越道へ、ななめに歩きます

過去、松ヶ崎浄水場へ取水した形跡がある箇所、文献少なくて難儀なり

 

昭和3年に、松ヶ崎浄水場を造った時に取水していた形跡がある箇所まで来ました。

これが今回の最大のナゾ。いったいこれは何? 板東さんも分からない・・・

 

 

これは何でしょう・・・?

この中には直径1mの水圧鉄管があるらしい。

奥村さんの推理では、大水が出た時のバイパスがあって、その途中のコンクリート水槽(サージタンク)だろう、との事でした。

 

<後日、奥村さんからの追加コメントです>

「松ケ埼上水場取水地点にて「円形のコンクリートの塔」は高水時に迂回する流量を流すバイパス鉄管の水撃作用を緩和するため管の下端近く(放流近く)に設ける上方に開いた高いタンク(コンクリートや鋼管等)であります。(発電所のサージタンクの働きのようなもの)
なぜバイパスが必要になったのかですが。左岸側で松ヶ崎用水を取水するため取水口付近で一定の水深が必要なため、現在も残つていた堰を作り数枚の角落し(木製堰板)
で一定の水位は確保できるものの、出水時の堰上げによる流水に阻害を来すので、その分バイパス鉄管路で流水を迂回して流す役割を果たすものであります。」

参加者からこの野鳥の名前が出たのですが、書き留められなかったです、どなたかご存知ですか?

疏水の流れと歴史は本当に偉大で複雑でした、というのが実感です。びわ湖の水なしでは、京都の水道事業は成立しません。水運や電気こそ、疏水に依存するという時代は終わりましたが、びわ湖の恩恵を受けて明治時代、京都の街は新しい道を歩んできました。

かたや関西電力が蹴上発電所の見学を始めました、とても素晴らしいことだと思います。関西小水力協議会の皆さんも、ぜひ、蹴上発電所を見てきてください。148万都市のこんな街中で、この規模の水力発電所を見学できる場所は、京都以外にないと思います。

<水は低きに流れるもの>・・・この特性を小水力発電は活かしています。蹴上の第一疏水、第二疏水の出口の標高が銀閣寺より高いという事が、歩いてみてやっと分かりました。地図の上では不思議に思っていましたが、その高さがあるので疏水が京都市内を北上できるのです。

ナビゲーターを務めていただいた板東さんは、もっともっと話したい事がいっぱいあったと思いますが、3時間以上、しゃべり続けて、本当にお疲れ様でした、ありがとうございました。

それで、最後の課題が残りました・・・「疏水で小水力、できんの?」

できるか、できないか、今年も続けて考えていきたいと思います。   (文責:里中)